宮沢賢治が名づけた「光原社」東北の民藝を訪ねて

岩手県盛岡市にある光原社本店。
全国各地の民藝品が揃う、民藝ファンやうつわファンに人気の高いお店です。
そのルーツは古く、大正時代にまで遡ります。

岩手県といえば、童話作家の宮沢賢治を生んだ土地でもあります。
賢治は故郷・岩手をイーハトーブ=理想の心象風景として、終生大切にしてきました。

賢治ともゆかりが深く、文学ファンも訪れるという光原社についてご紹介していきます。

「注文の多い料理店」が生まれた出版社

民藝運動の染色家・芹沢銈介デザインの作字

現在は民藝品のお店として知られる光原社ですが、そのルーツは意外にも出版社にあります。
光原社の創業者は及川四郎氏という方で、盛岡高等農林学校で賢治の1年後輩でした。

及川氏ははじめ、農業に関する本の販売事業をしていたことから、花巻農学校で教鞭をとっていた賢治のところにも訪れます。

すると、賢治から作品の原稿を預かることになり、童話集を出版することになりました。
これが、後の世に残る「注文の多い料理店」でした。

「注文の多い料理店出版の地」の石碑が残る

残念ながら出版時はほとんど注目を集めず、賢治の存命中には広く知られることはありませんでしたが、今では多くの人に読まれる名作は光原社から生まれたのです。

光原社は民藝の発信地へ

宮沢賢治は1933年にわずか37歳の若さで亡くなります。
その時期と前後して、光原社の名前はそのままに出版社から南部鉄器や漆器の生産・販売へと大きく業態を転換していきます。

ちょうど柳宗悦が提唱した民藝運動が始まって10年ほどが経とうかという頃。
光原社の及川氏は民藝運動を知り、東京・駒場の柳宗悦を訪ねていったそうです。

東京・駒場にある日本民藝館(この向かいの西館に柳邸があった)

民藝運動の一員であった染色家の芹沢銈介、版画家の棟方志功などと交流を深め、全国の民藝品を紹介し、岩手の南部鉄器を広めていった光原社は現在のライフスタイルショップの先駆け的な存在となっていきました。

異国情緒のある中庭と可否館

光原社の建物の奥には北上川に面した中庭があり、木漏れ日が美しい異国情緒あふれる空間となっています。

中庭の一角には約50年前に開業した「可否館」があります。
民藝の調度品やうつわを楽しみながら、ハンドドリップで淹れたコーヒーをいただくことができます。

レンガの壁や松本の民芸家具が調和したクラシカルな空間に庭の緑と自然光が差し込み、別の世界に入り込んでしまったようなひとときを楽しむことができました。
ゆっくりと、美味しいコーヒーと民藝を堪能したい方はぜひ足を運んでみてください。

さらに、中庭には「賢治に捧ぐ 柚木沙弥郎 新マヂエル館」が併設されていて、宮沢賢治の貴重な初版本や資料などを見ることができます。

こちらの記事で日本民藝館で開催された染色家・柚木沙弥郎さんの特別展についても紹介しています↓

店舗情報

光原社 本店
営業時間:10:00~17:30
岩手県盛岡市材木町2-18(盛岡駅より徒歩8分)

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