柳宗悦が提唱した「民藝」の思想が生まれてから、約100年が経とうとしています。
民藝運動には、河井寛次郎や濱田庄司といった陶芸家も関わっていましたが、陶芸以外の分野に携わる人物もともに活動していました。
今回は民藝運動への関わりが深い染色家の芹沢銈介と、静岡市立芹沢銈介美術館について紹介します。
芹沢銈介について
芹沢銈介は1895年(明治28)に静岡市の呉服商に生まれた染色工芸家です。
多くの作品や商業デザインを手がけ、晩年には重要無形文化財の「型絵染」を保持する人間国宝となりました。
芹沢銈介の出身地である静岡市には芹沢銈介美術館があり、2023年7月4日(火)~9月24日(日)まで「暮らしにとけこむ型染 ―芹沢染紙研究所の仕事―」を開催しています。
暮らしにとけこむ型染 ―芹沢染紙研究所の仕事―
今回の企画展では型染の技法を活用したさまざまな芹沢銈介の仕事を見ることができます。
暖簾や風呂敷などの布も数多く残していますが、同時に紙の仕事も多数行っており、うちわやカレンダー、グリーティングカードなど芹沢銈介デザインの日用品が展示されています。
芹沢銈介は沖縄の紅型に出会い、型染の仕事を展開していきます。
芹沢銈介は着物の反物など、布の作品に精力的に取り組んでいますが、戦中~戦後にかけて布が不足した時代には型染の技法を活用して和紙を染めてさまざまな品を作っていました。
戦後に進駐軍が滞在した時代には、数多くのクリスマスカードやグリーティングカードを制作し、軍人の家族を中心に人気を博していたそうです。
また、1960年代には北欧デザインが日本にも広まり、モダンな幾何学模様のカーテン地の制作に取り組みました。
量産には至らなかったものの、時代に即したものづくりの様子が見てとれる展示となっています。
同時代には芹沢銈介が主宰する染色家団体の「萌木会」も活動していました。
現在、100歳を迎えられた染色家の柚木沙弥郎さんもそのお一人です。
ちなみに、芹沢銈介美術館からほど近い静岡市由比には正雪紺屋があり、若き日の柚木さんが住み込みで働いていたことが知られています。
芹沢銈介のデザイン
芹沢銈介は図案を学んだのち沖縄の紅型と出会い、染色以外にもさまざまなデザインを残しました。
民藝のフォント
日本民藝館の看板などに見られる独自のフォントも芹沢銈介によるものです。
また、民藝運動の機関誌である「工藝」の装幀も多く手がけました。
「雑誌そのものが工芸的な作品であるべき」という考えに基づき、手漉き和紙や布張りの表紙など、工夫を凝らしたデザインとなっています。
いまも人気の芹沢銈介カレンダー
芹沢銈介がデザインしたカレンダーや風呂敷包みなどは現在も復刻版が販売されています。
昭和20年から38年もの間、制作が続けられたカレンダーは代表的な作品のひとつと言えるでしょう。
現在、芹沢デザインのカレンダーは越中八尾の和紙工房「桂樹舎」が制作を続けています。
和紙文庫は見学可能です。
静岡市立芹沢銈介美術館(石水館)
芹沢銈介美術館は登呂遺跡のある公園の一角に位置しています。
この美術館は建築家の白井晟一の後期の作品としても知られています。
石積みの外観と噴水のある中庭が特徴的で、水や石などの自然物との調和が感じられます。
渋谷区立松濤美術館でも白井晟一の建築を見ることができます。
まとめ 芹沢銈介の多彩な仕事
芹沢銈介は日本の染色工芸の道を牽引する存在として、多数の作品を残しました。
また、同時に商業的なデザイナーとしても本の装幀や日用品のデザインなど、今日のグラフィックデザイナーやプロダクトデザイナーの役割も果たしました。
芹沢銈介が残した独自のデザインは、半世紀の時を超えて現在も受け継がれています。
民藝運動という側面だけでなく、工芸やデザインという観点からも見どころの多い展示となっています。
アクセス
静岡市立芹沢銈介美術館
営業時間:9:00~16:30(月曜日休館)
静岡インターより約6分(駐車場あり)
静岡駅よりバス+徒歩で約15分